テニス全日本選手権に出たい
脱サラしてテニス選手に復帰した小暮友貴が、母の為、自分の夢を叶える為に奮闘するドキュメンタリー映画
がんで余命宣告を受けて闘病している母を勇気付ける為。小2から目指していたテニス全日本選手権に出たいという自分の夢の為。がんに勝ち、試合優勝を目指して奮闘する姿を映画に残します。
皆様。はじめまして小暮友貴です。
脱サラし、母を全日本選手権に連れて行くため選手活動をしています。
プロジェクト内容を話す前に簡単に自己紹介をさせて下さい。
【プロフィール】
小暮友貴(こぐれともたか)
1996年生まれ 群馬県出身
【戦績】
07.群馬県大会優勝
08.10.12関東ジュニア出場
11.トヨタジュニア全国出場
14.インターハイ出場
17.関東学生テニス選手権出場
17.群馬県選手権優勝(国体代表)
17.東日本選手権出場
17.JOP20万大会優勝
21.日本リーグ出場
まさか自分の人生に『母の余命宣告』と『脱サラ』という事態が起こるとは1ミリも思っていませんでした。小2で「テニスの王子様」を見てテニスを始め、小5で県大会を初めて優勝しました。全国大会にも数回出場でき、大学4年まで選手を続けてきましたがプロには到底なれませんでした。
そして、選手を諦めて2019年4月に就職しました。
新卒で法人営業マンになり、新宿、渋谷、池袋のオフィスビルを毎日「飛込み営業」する生活に変わりました。退職するまでに約1万社ほど営業しました。13年間ラケットを握っていた右手は気づけばビジネスバックと名刺に変わっていました。テニスでできた"手のひらのマメ"も日に日に無くなっていきました。
訳あって、小5から高3までは父子家庭で育ちました。そして大学に入るときに一人暮らしを始めました。色々と大変な思い出があるので、これからはバリバリ働いて「普通の幸せ」を手にするんだ!そう思って働いていました。でもある日、僕の人生を変える1本の電話がきました。
母:『がんセンターに一緒に来てもらえないかな?』この時母は1人暮らしです。元気のない声だったのを覚えています。忘れもしない2021年8月24日です。その3日前まで母は普通に働いていました。
でも、病院に着いた時母は「車椅子」に座っていたんです。なぜだ?
母は2016年頃に乳癌の手術をしていて、再発しなかったので主治医からは「もう再発の可能性は低いだろう」と言われていたそうです。しかし、僕が呼び出された時は癌は"肝臓、肺、脊椎"に転移していたのです。さらには脊椎に転移した癌が神経に作用し、足にマヒがでてしまい歩けない状態になっていました。信じがたい状況です。突然母が余命宣告ですからね、、、しかも僕はまだ24歳です。当たり前ですけどこんな未来なんて想像してませんでした。
母は独り身なのでその日から即入院です。
僕は有給を使ってサポートする生活が1ヶ月ほど続きました。コロナで面会もろくにできず。僕がやることは洗濯と買い出し、役場に様々な控除の申請でした。
母のサポートは僕しかする人がいないですし、仕事もキツかったので人生かなりハードモードです。ましてや、闘病生活はこの先しばらく続くことは理解できたので、そうなると「働き方を変えた方が良いのかな」そんなふうに考えました。
ある日の面会の時、母と今後について話していました。「今の仕事を辞めておかんをサポートしやすい働き方をしようと思うんだけど。」と僕は言いました。
すると母からの返事は「急にこうなってしまった私だから言えるんだけど、人生何が起こるかわからないじゃない。だから、私のためじゃなくて"友"の人生やりたいことをやって欲しい」と。
この言葉に凄く考えさせられました。俺のやりたいことってなんだ?
会社員になり、毎日忙しい生活をしていく中でだんだんと夢を忘れていたのです。僕の中でそれを考えたとき当然テニス一択でした。
俺が選手に復帰して頑張っている姿を見せたら、母も闘病生活を頑張れるのではないか?
それに、俺はまだ全日本選手権に出る目標を叶えられていない。
決めた、明日上司に言って会社を辞めよう。
母を全日本選手権(有明コロシアム)に何としても連れて行くぞ。
僕は現在、本当にありがたいことに日本リーグチームの山喜(SYSテニスクラブ)に所属させて頂いております。
脱サラして選手に復帰したからには人生賭けるしかない。結果を出すには自分の理想(全日本選手権出場)を叶えている選手のいる環境に身を置くのが最短ルート。プロ選手も2人所属しています。
僕は社長に直談判しに行きました。自分の気持ちを伝えました。
すると社長は「うちでやれるだけやってみなよ」と言ってくれました。それが2021年10月15日です。この日から会社員の時と生活は一変しました。
スーツを着ていた毎日から練習、トレーニング、仕事、試合、母のサポートをする毎日になったのです。
【↓2021年テニス日本リーグ】
自分の練習時間を確保して大会を回り、日本ランキングを全日本選手権最低出場ラインの「85位」まで上げたいのです。でも、何をやるにしても「資金」が必要なんです。そして僕にはその「資金」がありません。そんな時に、今回ご縁をいただくことになった(株)ベーシックインカム様と出会いました。
この文章を今、読んでくださっている「あなた」にどうか応援してもらえればこんなに嬉しいことは他にありません。どうか力を貸してください。
そして、全日本選手権を目指す様子をドキュメンタリー映画にし、配信することで母と同じような闘病生活を送っている人。僕と同じように何かに挑戦している人に元気と勇気を届けたいです。本当は別のやりたいことがあるけど、一歩踏み出せずにいる人へ背中を押せるような映画を作りたいです。2023年秋の全日本選手権への出場を目指します。もし実現した際には是非見に来てください!
小暮友貴に力を貸してください。何卒、お願いいたします。